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第8回ハートランド勉強会、お疲れ様でした!!

音が聞き取り難いことと、映像も小さく、私たちの方も配慮が足らずすみませんでした。。。

実際に先生方の話を“生”で聞くと、
本当に面白くて、面白くて・・・
是非皆さんにも見ていただきたいと企画しましたが、残念ですm(_ _)m

さて、今回提示した症例ですが、非常に難しい症例でした。
私も皆さんの意見を参考にいろいろと考えてみました。

『感覚がほとんどないのに、視覚制御だけで運動を行う事ができるのか?
まして、視覚だけで箸を使えるか?』

私が以前担当していた患者さんの話ですが、
その方は視床出血の方で、表在・深部感覚がほとんど脱失に近い状態でした。
麻痺は軽度で、視覚下であればコップを持つ事や指腹つまみは可能。
スプーンは持つことはできますが、食事場面で使うことはできず。
まして、箸は視覚下であっても持つことが困難な状態でした。


故に、視覚だけでは箸を持つという細かい動作を行う事は難しく、何らかの体性感覚情報が必要じゃないかと思います。
ビデオで見た症例も感覚が脱失に近いというお話でしたが、実は体性感覚情報は非意識の中で統合されていた・・・?

(非意識、意識はあまりよく分かりません(>_<)。)
2011/01/18(火) 17:40 No.36 編集 削除
太田康介

Re:

う~ん…、本当に難しいですね…(汗)
勉強会に参加された方々はどのようにお考えですか?

阿保さ~ん、清水さ~ん、種市さ~ん、大館さ~ん!
そして、西病院チームの青木さ~ん、倉内く~ん、宇津木沢く~ん!

と、ムチャ振り(笑)
2011/01/20(木) 08:14 No.1 編集 削除
私も、認知運動療法を勉強する前に視床出血の患者さんを担当したことがあります。その患者さんも表在・深部感覚がほとんど脱失に近い状態です。粗大運動、簡単な把持動作は可能で、巧緻性を伴う動作は困難でした。

『動いてる感じはありますか?』と聞いたところ、『動いている感じはほんどない』

それに対して、
『なんで感覚がない状態で動かすことができるの?』聞いたところ『目でみながら動かしている』

更に、
『腕が移動する感じはわかるの?』と聞いたところ、『動いてる感じ(関節の動き)はないけど、移動する感じがわかる』
運動覚は殆どないけど、『体勢』の変化は感じられていました。

運動の変化を感じ取るのに運動覚とは、また違う感覚があるのかな?とその当時は思ってそれ以上はわかりませんでした。


その後、認知運動療法を勉強していくうちに、現象学の表現で非意識化にある情報『身体体勢感覚』『キネステーゼ』という言葉を知りました。運動・行為の以前の『前提・情報』、意識・非意識の働きを知って、その患者さんの状態を少しわかったような気がしました。


『情報』という『前提』がなければ運動はできないと考えられるので、志保さんが言うように『体性感覚情報は非意識の中で統合』されていたと自分も考えます。

体性感覚情報のフィードバックがほとんど無くても(本当は固有感覚情報がなければいけないかも?)、『身体存在感』が成立している何かがあるのかな?と自分は考えています。ちなみに、『身体存在感』に対応する脳部位はわかっていないそうです。
⇒『エコ・フィロソフィvol.3 認知運動療法という技法‐システム存在論』を参照してみてください。


まだ、自分自身整理しきれていません(^^ゞ
2011/01/20(木) 19:58 No.2 編集 削除
とても興味深い内容で勉強になりました。ありがとうございます。
感覚障害はむずかしいですよね。しかも運動機能は保たれたまま感覚が分からないというのは、体験したことがないのでイメージもつきにくいです。
でも、非意識下での統合というのもありうるのかな…と思います。
一方で、経験・記憶の中で学習されたスキルの残存も少しは貢献しているのかな?とも思ったりしています。
以前、アドバンスで配布された資料に一次運動野のある一個の細胞を刺激すると手がどの位置にあっても口元に手が動くという内容の論文がありました。ということは、他にも行為レベルのような運動細胞があるのでしょうか?しかもその同行為の修正パターンともいうようなバリエーションも含めたいくつかの細胞群もあるのでしょうか?
運動指令で行為がオートマティックに遂行しきれてしまうくらいの...
マサコの妄想夢芝居(by鳥居みゆき)が勝手に膨らみます。
ご指導よろしくお願いします。
2011/01/21(金) 20:37 No.3 編集 削除
太田康介

Re:

>体性感覚情報のフィードバックがほとんど無くても(本当は固有感覚情報がなければいけないかも?)、
>『身体存在感』が成立している何かがあるのかな?と自分は考えています。

難しいですねぇ。

ラバーハンドイリュージョンの実験でも分かるように、視覚と体性感覚が時間的・空間的に同期していれば、身体の所有感は得られるわけですよね…。
というより、「予測」と「結果」の一致が身体の所有感を生み出していると思うんですよ。

脊髄損傷の方も、下肢からの体性感覚は得られませんが、自分の下肢を忘れることはほとんどありませんよね?
それって、「感覚のなさを感じている」ってことなんですかね?
やはり、「予測」と「結果」が一致していることが重要なのかなぁ。

そう考えるとビデオのケースは、本当に「身体所有感」があったのでしょうか?
そもそも、本当に感覚情報を感じ取れていなかったのでしょうか?

園田先生がおっしゃっていましたが、バイモダルニューロンの働きによって、非意識の中で視覚情報から体性感覚を予測的につくっていたのかもしれませんね。

ただ、「箸を問題なく使用していた」っていうところが気になります。
過去の経験から、箸を見ただけで、持った時の体性感覚を想起できますが、本当にそれだけで箸を操作することってできるのかなぁ。

同じ漆塗りを施した箸だって、木の種類によって重さは異なるし、箸で操作する料理だって、調理の方法によって箸ざわりや硬さは異なりますよね。
それを予測だけでコントロールするのって、やっぱり無理があるんじゃないでしょうか?

ケースが箸を操作している時は、私たちと同じような視線の動きだったのか(視覚をどの程度使っていたのか)が気になります(>_<)
2011/01/22(土) 15:51 No.4 編集 削除
青木 智子

輪廻

第08回勉強会お疲れ様でした。

ビデオの症例、わたしもぐるぐる考えていました。
阿保さんの紹介していた文献も大変面白く、読みました。

わたしも、体性感覚情報は意識には上らないけど情報として潜在的に処理されていると思います。意識(高次意識:左半球優位)の前の段階で。(一次意識:右半球優位)

※意識の話については、Edelmanの仮説がすごく興味深いです♪高次脳研究2009の大東祥孝先生の「病態失認の捉え方」わかりやすかったです。是非読んでください☆

「感覚が無い」というのは、概念的なというか言語(左半球)を媒介して構成されているような身体が分からないということかなと思いました。

左半球損傷の症例だったと思うので、潜在的には処理されている感覚情報を、記号的・象徴的・イメージに変換するのが難しくて、意識レベルに上げられないのでしょうか。

「そのような状態で道具の操作は可能か?」は難しい問題ですが、
わたしは、可能なんじゃないかと思います。
内部モデルで予測して、ある程度は操作できるんじゃないかと。

うーん、でも予測と実運動の誤差も、非意識下で検出できるのかなぁ。
意識レベルで、しっかり顕在化(言語での情報の把握)したほうが、効率は良さそうですが。でも、視覚情報の結果(成功、失敗くらい大まかかもしれませんが)からも、運動を修正できるような気もするし。

適切な内部モデルをどう選択しているのか?は今勉強中です・・・。

阿保さんの文献から、「魂」と「肉体」とは?とか、キリスト教と仏教の魂の考え方とか、全然違う方向に興味・関心が広がってます(笑)
心や、意識について深く知るのは大変そうです。

出家しようかな。
仏門へ・・・。(笑)
2011/01/22(土) 17:45 No.5 編集 削除
太田康介

Re:

大東祥孝先生の論文読んでみます!

青木さ~ん!
清水さんの質問に関して何か知ってますか?
2011/01/27(木) 12:39 No.6 編集 削除
青木 智子

Re:Re:

清水さんの書き込みをみて、なるほどー。と思いました。

>一方で、経験・記憶の中で学習されたスキルの残存も少しは貢献しているのかな?とも思ったりしています。

わたしも、それが「内部モデル」なのではないかと、思いました。
本でちらっと読んだのですが(「認知科学への招待~心の研究のおもしろさに迫る~」第13章 計算理論・脳機能計測・実験心理学の融合 今水 寛先生 ※他にも、わたしがリスペクトしている山鳥先生や、入来先生などいろんな分野の方々が、書いている本で面白いです。)
箸の操作の内部モデルを試行錯誤で子供の時に獲得した時、その内部モデルがひとつしかない場合、新しい箸に出会うたびに、内部モデルを作り直さなくてはならないです。
それだと大変なので、箸には複数の内部モデルが存在していて(清水さんの言う「同行為の修正パターンともいうようなバリエーションも含めたいくつかの細胞群」でしょうか)互いに干渉が起きないような構造(モジュール性)になっていると書いてありました。
内部モデルは、順モデルと逆モデルが常に対になっているので、
例)釘をハンマーで打つ時
順モデル:ハンマーを振り下ろした時の力から、何ミリくらい釘が入るかを予測(原因→結果)
逆モデル:あと5ミリ打ち込みたいと思ったとき、どのくらいの力で振り下ろすかを推定(結果→原因)

新しいハンマーを使う時、何種類かの順モデルを参考にして、振り下ろした力から、何ミリ入るかを予測
(「この種類だと、重そうだし5ミリくらい打てるかな?」的な。視覚情報から、予測)
↓実使用
2ミリくらいしか釘が埋没しない(視覚的に確認)
      ↓
そこで、2ミリという結果から、望ましい運動の逆モデルを出力する
と、いう話(内部モデルについて「エキスパート混合モデル」と「モザイクモデル」という計算理論で考察されていました)と、今水先生がされた実験の内容が書いてました。(うまく説明できていませんし、わたしの解釈の間違いの危険があるので、是非読んでみて下さい。すみません。)

阿保さんの紹介してくれた、文献(vol.4)を読んで思ったのですが、「感覚が無い、わからない」という経験を患者様はそのまま表現できているわけじゃないんですよねー。わたしも、なんだか最近センチメンタルでナーバスな感じですが、わたしのこころの状態をあえて言語という規則に乗っ取って表現するとそうなるのであって、複雑な、ほんとの気持ちは自分の事なのに「わからない」んです。

言葉にできないBy小田和正 ですね。
2011/01/29(土) 12:42 No.7 編集 削除
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